「おえかき和尚 うた日記」 書籍判
A5判、縦書き 130頁 定価600円(税別)
 
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戦没者のこと   平成六年十月二十七日
 午前中、市の遺族会(いぞくかい)が主催する戦没者慰霊祭(せんぼつしゃいれいさい)という法要を、仏教会として勤めた。今年は戦没者の五十回忌にあたり、戦後四十九年たったことになる。
 法要後、遺族会からは昼食にいつもの弁当がいただける。その弁当はちらし寿司で、具に魚はなく、酢ごはんの上にたまご焼、カンピョウ、ノリ、油あげ、酢バス、ベニショウガが細かくきざまれてのっているだけのもの。作ってから時間がたっているので、折箱がごはんの水分を吸っていて、こわいメシになっている。
  戦後五十年ほど、この町ではたぶん、かわらずこの弁当が遺族と担当者に配られてきた。業者は市内の寿司屋が数店わりあてられていて、包み紙でどこの寿司屋の弁当かわかる。
 遺族会の幹部でお檀家(だんか)のM氏は、長兄をフィリピンでなくしている。最近、県の遺族会として、はじめて現地に墓参に出かけた。お寺でカバンに入るほどの小さな塔婆を書いてもらい、農家なので自宅の水と米をもって出かけた。
 長兄の乗った戦艦(せんかん)は、フィリピン島の近くで空爆(くうばく)に会い沈没(ちんぼつ)した。長兄を はじめ、乗員の多くは、近くの島に泳ぎつき、ジャングルに逃げ込んだ。
 そして、食べ物のないジャングルで、ほとんどの兵隊は餓死し(がし)たという。
 その悲惨なありさまを、M氏は、偶然、生きて帰還(きかん)した戦友に聞くことができたそうだ。小動物を捕まえたり、ヤシの木にのぼる体力のない兵隊は、皆、餓死したそうだ。
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えいれい                  ひ   すめし
英霊の 法事つとめて 冷え酢飯

私は、廉価(れんか)なちらし寿司を短い割り箸(わりばし)でいただき、底にこびりついた飯(めし)つぶも、一つぶ一つぶ残さずいただいた。