「おえかき和尚 うた日記」 書籍判
A5判、縦書き 130頁 定価600円(税別)
 
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セミのこと    平成九年八月二十五日
 昨日、うちの寺の施餓鬼を終える。近隣のつきあいのある寺の施餓鬼も、うちのお寺で最終日となる。ようやく、お盆から施餓鬼と、一連の夏の行事が終る。一年の折り返しのような気分となった。
 家族は皆、疲れているので、朝、私がいつもの時間に起きる。施餓鬼の翌朝は、来られなかった人が、早朝にやってきて塔婆をもらいにくる事があり、寝坊ができない・田舎の人は早起きの人が多いものだ。
 本堂の戸を開けて、寝ている家人を起こさないように、そーっと自宅の雨戸をあけようとしたら、私の足元の暗い廊下で、ミンミンゼミがじっとしている。
今朝、はえ出したものか、昨晩、迷い込んだものかわからない。近くに父が寝ているので、すばやくつかんで、戸を開けて外に放した。セミは元気に飛んで行った。そして、つかんでいる時、セミが手の中でもがいてむずがゆいのだが、その感触が放したあとも手にのこった。
ミンミンを放して残る手のかゆみ

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 絵も迷いなく描けたので家人に見せると、今の人はセミをつかむこともしないし、経験もないので、
かゆみという表現は本当に手がかゆくなってしまったと受けとってしまう、と苦言された。
 そんなバカな、それでは句にならないと、私は頭をかかえてしまった。しかし、冷静になって考えてみると、たしかに、よほどの虫好き以外は、セミなどさわることもない時代になっていることを理解した。
その後、いろいろ頭をめぐらしてもうまく言葉が付かず、手のムズムズと冗談めいた字余(じあま)りになった。
 
ミンミンを放して残る手のムズムズ