「おえかき和尚 うた日記」 書籍判
A5判、縦書き 130頁 定価600円(税別)
 
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蝶と惜別のこと       平成十三年四月十七日
 お檀家さんなどと接していて、ふつうの人の中に、霊的な感覚をもっている方が時々おられる。霊感というほどではないが、身近な虫や動物に故人を重ねる方も、けっこうおられる。
 S町の竹澤さんは、おじいさんが七十才代で急死してしまった。持病はあったが、前日まで、つれあいの奥さんと農家の仕事をしていた。あまりに突然で、家族の悲しみは悲嘆という言葉でしか思いうかばない。
 通夜、葬儀が終わり、四十九日忌の準備を進める頃、境内で奥さんと娘さんに出合った。墓参りに来たらしく、私を見とめて二人が近づいてきて、私の前で目を真っ赤にした。
「方丈さん、こんなことってあるんでしょうか。今日、ビニールハウスの苗床(稲の)の仕事をしていて、こんな寒い日に白い蝶が手にとまったんです。払っても払っても私を追ってくるんです。」
「思わず、お父さん、って蝶を呼んでしまいました。この間、亡くなる前日に一緒に仕事をしていた、あのビニールハウスで、ですよ」
 他家に嫁いでいる、その娘さんも実家に来ていて蝶のありさまを見ており、やはり、目から涙があふれていた。
 私は、一瞬、そんなバカなと思ったが、それほど悲しみが深いんだなと受けとめた。
「そうですか、お父さんは、さびしがらないように奥さんにごきげんをうかがいに来たんですかねぇ」と、かるく相づちをうった。
「ほんとうに、五十年も百姓をしていますが、あんなことは初めてです。ハウスの中ですから……」
 私は、別の方で、季節はずれのアマガエルを病院で見つけ、故人が入院中の家族を見舞いにきたと、涙を流してそっと、建物の外に出してあげたという話を思い出した。
 人の別れは悲しい。まして突然の死はなおさら受けとめがたい。人は、愛する人との別れを受けとめるのに、古来から、周囲の生き物に心を交わす感覚をもっていたと思う。雁が西の空に向かう、それだけで世の無常に涙し、秋?の声にその頃亡くなった故人を思う。都市化による自然の後退に、私達は大切な感情を捨ててしまったのかもしれない。

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亡き夫は白き蝶々になりたまい
わが手にとまり払いても来ぬ