「おえかき和尚 うた日記」 書籍判
A5判、縦書き 130頁 定価600円(税別)
 
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仙高ウんのこと     平成十九年九月二十八日
 仙高知ったのはずい分昔だ。たしか、学生の頃か、卒業してからか、芸術新潮とか芸術手帳のような雑誌の小特集だったと思う。有名な○△□の図も、当時の私にはピンとこなかった。若い頃は日本画も水墨画も身近ではなく、洋画の抽象画にひかれていた。
 おぼろげな記憶では、仙高フお寺は九州で私の寺と同じ聖福寺ではなかったか。
 仙獄v後百七十年展が開かれていることを知り、聖福寺という寺の名前と絵を書く僧として気になっていたので、法事を終えた午後、東京へ向かった。閉館二時間前に、やっとお目当ての美術館に到着する。皇居を窓からのぞめるビルの上階の美術館は、意外と混んでいた。 けっこう、仙鴻tァンが沢山いるのに驚いた。
 ひととおり観賞して、略歴を読みあらためて知ったことは、仙高ヘ立派な修行者であり、博多の名刹、聖福寺の住職になってからは卓越した指導者になられたことだった。
 仙高フ絵は巷の世俗を描いたほほえましいものや、仏画、書と幅広く習熟されており、特に絵はどこで習ったのかと思った。仏画は禅僧でありながら浄土教の阿弥陀如来や南無阿弥陀仏の名号まであり、宗派をこえた自由な考えを持った方であった。
はじめて実物でお目にかかった仙高ウんは、絵もさることながら、お人柄に親しみを持てる方であり、「博多の仙高ウん」と言われたわけがわかった。
 仙高ヘ聖福寺住職を退任してから、旅に熱心であった時期もあったが、お寺の事情でふたたび聖福寺住職になり八十八才で亡くなられた。
 埼玉の聖福寺の主も寸暇をさいて展覧会へやってきたが、いつの時代も住職の仕事といものは想像以上に大変だと同情してみたり、自分におきかえて元気をださなければと思い、家路をいそいだ。

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俗に生き聖を願う浄土僧

俗を描き聖を行じた仙高ノ会う

※○△□の図……仙高フ書いたものの中で、何を意味するか明かされなかったために大変有名になった図。仏教のおしえや、宇宙という説もある。

※名号……………南無阿弥陀仏という念仏そのものを指す。