トンボ・野草研究家の長須房次郎さんが幸手近郊の自然を紹介

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長須 房次郎
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No.18 -9月22日更新-
仲秋の権現堂堤
《ヒガンバナとフジバカマ》
赤い花ならマンジュシャゲ・・・」と歌われ、親しまれているヒガンバナ(彼岸花)が、権現堂堤を鮮やかな赤色で染め上げています。権現堂堤保存会の皆さんのお骨折りで、百万本といわれる日高市の巾着田にもう一歩のところにきました。
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【ヒガンバナ咲く権現堂堤 9/15撮影】
ヒガンバナはヒガンバナ科の多年草で、秋の彼岸のころ、田んぼのあぜ道や土手、古寺の参道、墓地などを真っ赤に染めるほど群落を作ります。葉は花がすんでからまもなく伸び始め、5月ごろ枯れてしまいます。日本全土に分布し、花期は短く、秋の彼岸前後に咲くのでヒガンバナの名があります。
日本に分布するものはすべて3倍体でもっぱら鱗茎の分裂によって増えます。鱗茎にはリコリン(アルカロイド)を含み、誤食すると、嘔吐、下痢、よだれを流し、神経麻痺が起こり、ひいては呼吸困難になって死に至ります。毒性は煮たり、炒めたりして熱を加えても変わりません。
   
 「古事記」や「日本書紀」などの古典に現れていませんが、江戸時代以降には多くの本草書や文学作品に登場し、「葉なし草」「死人花」「狐の松明」「ハミズハナミズ」「シビレバナ」「ユーレイバナ」「マンジュシャゲ」など一千以上の方言があります。それほど日本人の心をとらえ親しまれている花です。「古事記」や「日本書記」などの古典に現れていません。なぜでしょうか。マンジュシャゲは曼珠沙華と書き、釈迦が教えを説いた後に美しく赤い大きな花を天上から散らしたという伝説からつけられたともいわれます。
 昔、飢饉のときは毒抜きをしたヒガンバナの鱗茎を食べたといわれます。
墓場に植えられるようになったのは、ヒガンバナさえ食べられず飢え死にした死者を悼んだという説もあります。
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【ヒガンバナ 9/19撮影】
【ヒガンバナの花 9/15撮影】
 
〜例年より約10日早く開花しました〜
ヒガンバナは、最近ガーデニングブームにのって「リコリス」という名前で登場してきました。野生種から改良して作られた「リコリス」はすっきりとした赤、ピンク、薄紫、白など多彩です。似た種類にキツネノカミソリやナツズイセンなどヒガンバナ科の植物は美しいが有毒です。植え替えの後はよく手を洗ってください。忘れずに!。
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【フジバカマの群落 9/15 幸手権現堂堤にて撮影】
絶滅の危機に瀕している野生のフジバカマが、ほそぼそながら権現堂堤の一角で花を咲かせています。フジバカマは戦前までは荒川堤や淀川沿いなどにもよくみられました。しかし、最近は低地の土地造成、護岸工事により成育可能な場所が少なくなる一方で、絶滅危惧種として環境庁の植物版レッドリストに挙げられており、絶滅が心配されています。幸手市域での自生地としてはここがただ一か所となっています。ここも危うく絶滅?と心配しておりましたが、幸手自然観察クラブの会員小林勝男さんが中心になって、周囲の雑草の刈り取りなどをして何とか生き延びています。
   

フジバカマは、山上憶良が「萩が花 尾花 葛花 瞿麥(なでしこ)の花 女郎花(おんなへし)また 藤袴(ふじばかな) 朝貌(あさがお)の花」と詠んだように、古くから日本人に親しまれた秋の七草の一つです。日本には奈良時代以前に中国から帰化したといわれ、低地などの肥沃な氾濫原に生え、地下を出すため、多数の茎が株立ちになります。
この葉を乾かすとクマリンの香りがするので、むかし中国ではこれを頭髪や衣服につけたり、入浴時に湯に浮かべました。この風習が日本にも伝わり藤袴の名でよばれ、秋の七草の一つにされました。

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【アキアカネ♂ 9/15幸手権現堂堤にて撮影】
アキアカネも例年より早く戻ってきました。
 
 

 
《オオブタクサとセイバンモロコシ》
 
オオブタクサ別名クワモドキは北アメリカ原産の1年草で高さ2.5m、太さ4cmにもなりおおきな群落をつくります。風媒花で大量の花粉を吐き出し、ブタクサとともに花粉症の原因となっています。昭和28年(1953)に関東地方で見つかり、現在では沖縄から北海道まで分布しています。幸手では昭和33年(1958)に高須賀の中川堤防で発見したのが最初です。ここ数年急激に増加、河川敷に大きな群落をつくります。葉が桑の葉に似ているのでクワモドキと命名されました。が、花の構造がブタクサに似ているので、最近はオオブタクサの名で親しまれています。
【オオブタクサの群落 9/15幸手権現堂堤にて撮影】
【オオブタクサの花穂とノシメトンボ
9/15幸手権現堂堤にて撮影】
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権現堂堤の北側にススキのように群落をつくっている植物がありました。セイバンモロコシでした。ヨーロッパの地中海流域の原産といわれる帰化植物です。荒れ地や堤防などにみられる強力な雑草として戦後になって急速に広がりました。市内ではしょうわ40年頃からみられるようになり、ここ数年急激に分布を広げています。高さ1.8m前後になります。派のへりがすすきのようにざらつかないので、穂が出ないときでも見分けられます。
モロコシ(蜀黍)の仲間で(西蕃)から伝わってきたのでセイバンモロコシ(西蕃蜀黍)の名がつけられたようです。
【セイバンモロコシの群落 9/15幸手権現堂堤にて撮影】
【セイバンモロコシの花穂 9/15幸手権現堂堤にて撮影】
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